おやすみ

ご都合主義なんで何度でも書きます。

 

 

霧の夜を抜けた。結果的には何も失わなかった、とはいかなかった。

「はあ……」
「お兄ちゃん」
「溜め息くらいつかせてくれ」

目が覚めたら病院だった。
やはりというかなんというか渋谷のスクランブル交差点で事故にあった、らしい。数日間の意識不明と複数の骨折と裂傷と打撲。ついでに頭部も右側を強打したらしく眼球自体に問題はないらしいがどうも右目の視界が怪しい。

当然病室のベッドから身動きが取れず、このままでは卒業はともかくこの新卒での就職は無理かもしれない。ここまでの大怪我をしたこともない。ざっくりと説明を受けたが怪我の治療の他にリハビリも必要だ。まともに動けるようになるまでどのくらいかかるのはまだよく解らない。だいぶ時間が掛かる事だけは確かだ。正直言ってついてない。が、まあ目が覚めてみればベッドの横には車椅子に乗った麻里が座っていた。あの夜の記憶もあるらしい。
ごめんねと泣き笑う麻里の顔を見てしまったらまあいいかと思った。引き換えに得たというなら十分だった。

「明日警察の人来るって」
「事情聴取かな」
「あの人が来るかもね」
「あ、KKのことも解るんだ?」
「うん。戦ってるの、見てたから」

そう言えばKKは今も警察官なんだろうか。特に辞めたとか言っていたような記憶はないが、公務員って副業禁止なんじゃないっけ?とはいえ今更確かめようもない。そもそも本名も所属も知らないわけだし。あのパスケースも手元には無かった。事故で散らばったのかそれともそもそも自分のところには無かったのかさえも解らないけれど。
麻里が生きているなんて奇跡が起きているくらいだ。彼らだってきっと揃っているのだろう。会ったことはないけれど知っているつもりになる個性豊かな面々に会えるのなら会ってみたいところではある。

「わざわざ聞きに来てもらっても事故のことは覚えてないんだけどね」
「それを聞きにくるんでしょ。お兄ちゃんも暫く安静なんだからゆっくりしなよ」
「ゆっくりする以外の選択肢が欲しいよ」
まともに身動きが取れないということがこんなに辛いとは思わなかったと口にすればそのうち二人ともリハビリで忙しくなるよと麻里が笑った。そうだねと暁人も頷いた。以前の居心地の悪さも今はそれほど感じないことに安堵して、お互いあの夜に想いを馳せた。
「お兄ちゃん。退院したら、お墓参り行こっか。一緒に」
「そう、だね」
だからまずは身体を治さなくてはと改めて暁人は思った。それからのことは追々考えよう。大丈夫、僕らにはまだ明日が来る。

そうして翌日の事情徴収も覚えていることがないためあまり話すこともなく終わった。ヘルメットがあったとはいえ頭を打ったらしく記憶の混濁があると医師から聞いていたらしいことと、突っ込んできたのは車の方だったと防犯カメラの映像をはじめ周りの証言も取れているとのことでそれほど注視されていないようだった。刑事はそれでも一応、何か思い出すことがあれば連絡をと名刺をおいていった。

「あの人じゃなかったね」
「向こうがどうなってるか解らないからなあ。案外何も覚えていなかったりして」
「私は覚えてるんだからあの人だって覚えてるよ。絶対に」
妙に強く断言する麻里にそうだねと笑って同意した。そうだったらいい。

 

 

結果的にKKはやって来た。

聴取に来た警察官もすぐに帰ったためもうやることもなくなった。ベッドからろくに動けない体でできることもなく、ぼんやりと外を眺めていた。そうしたらいつの間にか眠ってしまっていた。昼夜を問わず断続的に続く睡眠と覚醒。かといって夜に目が冴える程でもない。身体は眠っている間に細胞が作り替えられるなんて話もある。治癒にはまだまだ眠りが必要だってことなんだろう。
そうしてまた目覚めた。部屋の明かりは落とされている。何時だろうかと思い時計に目を向けた時、仕切られたカーテンが静かに引かれて誰かが来たのだと解った。目線だけをそちらに向ければ生身では初めて会う男が立っていた。

「ねえ流石に非常識じゃない?」
KKに向けた第一声で常識を説くことになるとは思っても見なかった。仕方がない。今は真夜中だ。病棟はとっくに消灯されているし呑気に話していていい時間ではない。なんせ個室ではなく大部屋だ。といっても対角上のベッドがひとつ埋まっているだけで残りの二つは今日の昼に退院していった。

「悪いな。時間が取れなかった」

ベッド横の椅子を引き寄せてKKが座る。暗い色合いのスーツに同様のネクタイ。あの夜には見なかった服装だ。

「スーツだ」
「スーツ?ああ、そうかあの夜はこっちじゃなかったからか」
「そうしてると刑事っぽい、かも」
「かもじゃねえ」
現職だぞとKKが笑い、あの夜と変わらない気安さに安堵する。
「暁人くんは大怪我だって?」
「そうだよ。でも辻褄合わせがこれなら十分お釣りがくるよ」
「妹も目覚めたらしいな」
「うん、元気だよ。だからいいんだ」
「そうか」
現世から去ったはずの人間が生きている奇跡が起きるとは思ってもみなかった。暁人本人がそう言うならそれでいいんだろうとKKも同意する。

「あの夜って結局どうなったの?」
「どうもこうもねえよ。現実には同時多発で事故が起きまくったくらいだ。それ以外は何も起きなかったことになったんだろうな」
「般若は?」
「影も形もねえな。あいつだけがさっぱり消えちまった」
「凛子さん達は」
「あいつらも生きてる」
「そっか。よかった」

自分にとっては麻里が生きている事で救われた。だからどうか彼らもそうであって欲しいと願っていたのだ。

「冷たいねえ相棒」
「え?」
「会いに来た俺よりあいつらの方を心配するんだからよ」
からかうようにそう言うなら流れに乗ってやればいいのだろうけれど、そもそもKKに関してはそういう意味での心配はしていなかった。

「KKが生きてるのは解ってたんだ」
「あ?なんでだよ」
「麻里も生きてたっていうのもあるけど、右目にだけ黒い靄のような糸が見えてたから。多分この先はKKに繋がってるんだろうなって思って」
「引き剥がされた時のやつか」
「それよりはだいぶ細くて薄いけどね。KKからは見えない?」
聞けば素じゃ見えねえなと首をかしげ左手を翳した。あの夜幾度となく暁人も繰り返した霊視だ。実態のない水滴が水面を打ち、波紋を広げる。これで見えなかったものが見えるようになるのだから実に不思議だ。

「…マジで糸だな」
「でしょ?」
注意して見なければ認識も出来ないような細い糸だ。あの夜追ってこいとばかりに主張していたものとは程遠い。随分と細い繋がりだとKKが実体のない糸を引く。これも不思議なことに引けば伸びたり縮んだりするのだ。糸の先はお互い胸の心臓の辺りに続いているように見える。
「でも一応ちゃんと言っとく。あの夜一緒にいてくれて、戦ってくれてありがとう。KKが生きていて嬉しいよ」
「そうかよ……そうだな。俺が生きてんのも、お前が大怪我してんのも予想外だったがまた会えて良かったぜ」

顔を見合わせて笑いあえるなんて思ってもみなかったからひどく嬉しくなった。

「取り敢えず今日顔だけ見に来たんだ、ちゃんとした見舞いはまた今度な」
「麻里も会いたがってたよ」
「妹も覚えてたのか?」
「うん、KKと一緒に戦ってるところも見てたってさ」
すれ違っていた妹のこともためらいなく口にする暁人にKKはほっとする。
「ちゃんと話せるようになったなら良かったな」
「KKはどうなの?」
「まず今そんな暇がねえんだよ。これが終わってから、だな」
「そう。それじゃあしっかり頑張って」
「お前も大人しく体治せよ」
「勿論。じゃあ……おやすみ、KK」
「ああ、おやすみ暁人」
椅子から立ち上がり、カーテンを引くKKに、あの夜の終わりと同じ別れを投げ掛ける。あの夜明けに返ってこなかった返事が返ってくる。ただそれだけのことが、とても嬉しかった。

2022年11月21日